都市と地方の新しい関係の結び方の提案

今回は、「私的関係人口3大バイブル」のうちの最後の1冊、『都市と地方をかきまぜる』をご紹介します。

著者である高橋博之さんは、日本各地に広まっている「食べる通信」の生みの親であり、今、人気の「ポケマル」ことポケットマルシェの代表でもあります。

高橋さんが本書で明らかにしている問題意識は、少子高齢化で人口が減少し、消滅の危機にある地方の住民だけではなく、都市の住民もまた行き詰っているのではないかということです。
高橋さんは、このことについて、都市住民は2つの「檻」の中に幽閉されていると述べています。

一つは、「自由の奴隷」という檻。
時間だけが労働に拘束され、子どもと過ごす余裕、趣味に費やす余裕もなく、自由を維持するためにどんどん不自由になっていく様を表現しています。

もう一つは、「生きる実感の喪失」という檻。
こちらは生物としての身体感覚や生きる実感がわかない様を指します。

高橋さんは、都市住民を2つの檻から解放するための解決策が、ほかならぬ地方にあるのではないかと考えました。
しかし、片や地方も、過疎化を背景として、医療や公共交通、産業の担い手の確保といった地域の持続性の危機に苦しんでいます。
都市も地方も、悩みは違えど、問題を抱えており、今や都市か地方かのどちらかを選ぶのが困難になっているのです。

ではどうしたらいいか?

高橋さんは次のように考えました。

どちらかを選ぶのではなく、このふたつが一部分でも重なり合うような社会、都会と田舎の価値をパラレルに享受できるような生き方はできないか

今、盛んに「地方創生」ということがいわれていますが、地方創生の問題を地方だけの問題にとどめず、都市の問題をも包含するスケールで考えていくことで、日本という国が直面している難問への回答に近づけるのではないかと考えたのです。

奇しくも、2020年に新型コロナウイルスが引き起こした危機的状況は、都市と地方という関係のあり方の問題を浮き彫りにしたのではないかと思います。

そこで、本書では、以下の3つのキーワードを手がかりとして、今後の都市と地方の関係のあり方について考えてみたいと思います。

①都市が地方を支える、地方が都市を支える
②消費者と生産者をかきまぜる
③消費者から生活者への視点

都市が地方を支える、地方が都市を支える

先ほど、地方創生を、地方だけの問題として捉えるのではなく、都市を含めた問題として捉えるということを述べました。

そこに向けたアプローチとして、高橋さんは、「関係人口を増やす」ということを主張しています。(出ました、関係人口!)

関係人口とは、ざっくりいうと「そこに住んではいないけれど、その地域を何度も訪れたり応援してくれたりして、地域と多様な関わりを持つ仲間」のことです。
(関係人口についての詳細は、別投稿『関係人口をつくる 定住でも交流でもないローカルイノベーション』から学ぶで解説していますので、よろしければ合わせてご覧ください)

なぜ、関係人口を増やすことが、地方と都市の問題解決につながるのでしょうか?

通常、関係人口というと、地方側が自分の地域の課題解決のために、地域外の人間である関係人口を呼んで助けてもらおうというような文脈で使用されることが多いかと思います。
もちろん、地域のファンである関係人口が増えることで、地域の課題解決に向かうということは間違いないでしょう。

でも、地域に関わることで、関係人口の側が得るものもあるのではないか。
地域に関わる関係人口側にも焦点を当てているというのが、本書からの大きな気づきでした。

関係人口がどこから来るかというと、東京をはじめとする大都市圏であることが多いかと思います。
それも、30代の若者が多いというデータが出ています。(国土交通省「地域との関わりについてのアンケート」より)

都市の中で時間に追われ、生きている実感の喪失に悩む若者たちにとって、生きている実感や人とのつながりは贅沢品になっていると高橋さんは述べています。
地域にはそんな贅沢品がまだ色濃く残っている場所なのです。
ソトコトの指出さん流にいえば、地域は、都市の若者にとっての「居場所」を提供しているといえます。

関係人口が地域を救うのと同時に、関係人口も地域に救われている。
そんな図式を描くことができます。

都市の行き詰まりを解決しえるものが、地方にはある。ならば、都市が地方を支える、助けるという議論とは別に、地方が都市を支える、助けるという議論を堂々と展開していっていいのではないか

つまり、どちらかがどちらかを助けるという一方的な関係ではなく、都市と地方がお互いに補完関係をつくることができるのではないかということですね。
都市か、地方かではなく、都市と地方が絡み合っているのが日本という国なんですね。

ここのところ、ものすごく自分の中で腑に落ちました。

地方創生とはいえど、地方だけの問題をいっているのではない。
都市も含めた日本全体の問題としてとらえないと、国民一人ひとりのジブンゴトにならないと思うのです。

消費者と生産者をかきまぜる

ここでは、高橋さんが手がける事業の中心テーマである「食」を切り口に、なぜ都市住民が生きている実感を喪失してしまったのかを考えてみます。

なぜ食なのかといえば、都市と地方の断絶、都市住民の生きている実感の喪失がもっとも顕著に表れているのが食だと思うからです。
この点について、私も高橋さんと同じ考えです。

いうまでもなく、人間は食べなければ生きていけません。
だから、食に関してはすべての国民が当事者のはず。
でも、実際は多くの人にとって他人事になっていると高橋さんは指摘します。

確かに、口では国産のものを子どもに食べさせたいといいながら、実際に買っているのは値段の安いもので産地は二の次になっているというのはよく聞く話です。
また、都市部では農地が少ないので、どうやって野菜が育っているかも知らない子どもが多いとか、魚が切り身で海を泳いでいるものと思っている子どももいるといいます。

・・・笑い話のような笑えない話ですね。

なぜそうなったのかといえば、いくつか理由が考えられるかと思います。

・都市の開発によって農地が減り、「消費地」になった
・その結果、都市と地方が「消費地」と「生産地」としてくくられ、物理的な距離以上に精神的な隔たりが生まれた
・流通面でも、農家から直接野菜を買うのではなく、市場や小売店を経由するようになり、「生産者」と「消費者」という区別ができた
・「生産者」と「消費者」をつなぐのは、金銭のやり取りだけ、しかも直接の受け渡しのない決済だけの、一過性の非常に浅い関係となった

このことを高橋さんは次のように表現しています。

食べる人は都会にいて、つくる人は田舎にいる。現在の巨大な消費社会においては、都会と田舎をつなぐ回路は見えにくくなっている

今、農業をはじめ、日本の一次産業は、後継者や担い手不足、低所得などを背景として、存続の危機に瀕しています。
食は本来、すべての人にとっての問題であるはずなのだから、後継者不足の問題を消費者も一緒になって考えなければいけないのに、そうはなっていないというのが現状なのです。

とはいえ、いきなり都市住民に農業をやれというのもハードルが高すぎる話でしょう。
ではどうすればいいのか?

そこで高橋さんが提案するのが、消費者と生産者をかきまぜることです。
消費者と生産者を、食べ物を売る人とお金を払う人ではなく、つくる人と食べる人ととらえ、両者から成るコミュニティで、生産物を共有できる価値に変えようということを述べています。
簡単にいえば、つくる人と食べる人という顔の見える関係をつなぎ直そうということでしょうか。

それを実現しようと高橋さんが始めたのが、「食べる通信」でした。
「食べる通信」とは、定期的に送られるマガジンなのですが、マガジンだけでなく、食べ物も一緒に送られてくるというものです。
単なる食べ物ではなく、生産者の物語を伝えることで、「食べる人」と「つくる人」という継続的で深い関係性に発展させることを目的にしています。

また、これによって、都市住民が渇望している「生きる実感」や「人との関わり」という価値をも提供しているというのが、「食べる通信」のすばらしいところですね。
そしてこれが、次の「消費者から生活者への視点」につながっていくこととなります。

消費者から生活者への視点

ここでのキーワードは「リアリティ」です。

いうまでもなく、現代において情報はもはや贅沢品ではありません。
いつでもどこにいても、世界中の情報が手に入ることに加えて、さまざまな疑似体験もすることができます。
新型コロナウイルス騒動で起こった「オンライン飲み会」や「オンライン教育」などの「オンライン○○」がその象徴でしょう。
私が好きな本も、本屋に行かずともAmazonでボタン一つで買うことができます。

けれど、リアリティや関係性は、Amazonでは買うことができません。
いまや、生きる実感やつながりなどのリアルなもの、そしてそこに生まれるリアリティこそが贅沢品なのです。

リアリティを取り戻すとは、「当事者になる」ということに他ならない

リアリティを回復するとは、自分を取り巻く環境や社会に関心を持ち、リスクを知り、それを当事者として引き受ける側に回ること

高橋さんはこのように述べています。

生産者と消費者の関係はとてもわかりやすく、共依存関係を築きやすいと高橋さんはいいます。
食べものを直接買うということは、お互いに依存し合い、貢献し合うことだからです。

自分が育てた野菜やお米を送る。そのお返しとして、生活費の一部を送ってもらう。かつては当たり前にあったそんな関係を他人同士でつくることができたら、こんなに豊かで幸せなことはない。そこに時間やお金をかける価値も生まれる

ただ、ここで注意しなければならないのは、消費社会において、「お客様は神様」という風潮が根強いことです。
これは、何か問題が発生したときに、すべて生産者側の問題であり、生産者側の責任であるという態度につながります。
消費者は他人事であり、これでは対等な相互補完の関係といえません。

そこで大切なことは、単なる食べものとお金のやりとりではなく、消費社会で欠落している「つくる」と「食べる」をつなげることで、「消費者」を「生活者」に変えることだと高橋さんはいいます。
誰かのトマトではなく、〇〇さんのトマトというふうに、つくり人と食べる人が顔の見える関係を築くことです。

そうすると、生産者は代替えのきく誰かではなく、私たちの代わりに美味しい食べものをつくってくれている大切な存在になるのだと思います。
また、食べる側も、つくる人と直接つながることで、生きる実感を取り戻すことができ、消費者ではなく「生活者」という存在に立ち戻れるというわけです。

結果として、都市と地方は、どちらかだ主でどちらが従ということではなく、相互にゆるやかにつながりながら、自由に行き来することができ、支え合える補完関係を築くことができるはずです。
それが「都市と地方をかきまぜる」の本当の意図であると私は理解しています。

最後に、高橋さんが情緒豊かに美しくつづっている言葉で結びにしたいと思います。

その価値を共有する「生産者=郷人」と「生活者=都人」のつながりが回復されたとき、都市と地方はしなやかに結び合っていく
両者が一緒になって新しいコミュニティとしての「命を支えるふるさと」「心の拠り所となるふるさと」を創造する喜びと感動を分かち合える