なぜ移住者が増え、出生数が増えたのか
本書『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』の舞台は、島根県大田市大 森町。
著者は、世界遺産登録となった石見銀山の町で活動する株式会社石見銀山生活文化研究所所長の松場登美氏。
同社の取組は、令和2年度に総務省のふるさとづくり大賞と内閣総理大臣賞を受賞しています。
事前に見聞きした情報によると大森町の人口は約400人。
にもかかわらず移住者が増え、年間平均出生数が4.8人もいるとのこと。
人口約1万人のときがわ町で年間平均が50人弱であることを考えると、ときがわ町の人口が1000人だとするとちょうど同じくらいの出生数です。
つまり人口を同規模として単純比較すると、大森町は1年間にときがわ町の2倍以上の子どもが生まれていることになります。
もちろんこれまでも何度も書いてきたとおり、人口が増加していること自体がまちづくりの成功を示しているというわけではありません。
あくまで人口の増加は一つの結果でしかないと私は考えているからです。
ですが、移住する人が増え、出生数が増えているということは、それだけこのまちを魅力に思う人が多く、ここで子どもを生み・育てたいという人が多いということを意味していると思います。
ではなぜそのようなことが起こっているのか。
今回はそのことについて考えてみたいと思います。
「経済性49%、文化51%」に込められた「1%」の理念
大森町はもともと移住してくる人が多かったということではありません。
移住者が増え、「奇跡」と呼ばれるほどのまちづくりが行なわれるようになったのは、筆者をはじめ、地域の人たちの努力によって変化してきた結果です。
どのような努力がされてきたのかということについては本書を読んでいただくとして、私が本書でもっとも印象の残ったのが次の一節です。
経済性と非効率、そのさじかげんが難しいところですが、私たちのものさしは「経済49%、文化51%」というバランスを持つということです。経済より文化が勝る1%の差は理念。高い志があれば、経済が文化を壊すことはない。私たちの会社が片田舎で残ってこられたのは、この文化優先の理念を守ってきたからです。
この「経済49%、文化51%」という言葉が強く印象に残りました。
なぜかというと、ここに地域活性化に取り組む上での大事なポイントがあると考えたからです。
ちょうど最近、観光に関するご相談をいただくようになっており、どのように観光に向き合うかという点で少し悩んでいたところでした。
私は観光や地域活性化の成功は、単なる観光客数や人口の数の増加ではないと考えています。
また消費額のアップや事業者の収益アップが目的そのものになるというのも少し違うと思っていました。
どういうことかというと、これらを目的にするということは経済成長を追い求める都市の論理と同じ土俵に立つことを意味するからです。
それだと当然、人口が多く、お金も多く集まる都市部にいる方が有利ですし、それに負けじと経済成長ばかり目指すと地域固有の歴史や文化、自然などの資源の持つ地域の良さ=武器も損なわれてしまいます。
ただ、それら(ひっくるめて「文化」と呼ぶことにします)がいくら地域の資源、魅力とはいっても、持続していけるだけの収益をあげることができなければ、当然、文化を支える産業も廃れてしまいますし、人も出ていかざるをえなくなってしまいます。
ではどうやって経済と文化をバランスさせるかを考えた時、「経済49%、51%」という言葉が効いてくるように思いました。
その1%の差は「理念」であると筆者は述べています。
大都市のような飽くことなき経済成長の追求にとらわれずに、地域においてその地域に合った持続的な発展を目指すこと。
それこそが地域づくり、まちづくりに必要な視点なのではないかと思いました。
観光振興に取り組むことの目的も、あくまで地域の経済を成長させることではなく、地域を持続させることに主眼があるはず。
「経済49%、文化51%」は、今後の地域でのしごとづくりにぜひ活かしていきたいですね。
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以下、本書で気になった箇所をまとメモとして公開します。
「⇒」は個人的な感想、考えを示しています。
まとメモ
第1章 「足元の宝」を見つけて生かす
・大田市の中心部に店を出しても、お客さまの対象は大田市だけ。でも中心部から離れた田舎の大森町に店を出せば、自分たちのやり方で自由にできるし、全国各地からわざわざお客さまが来てくれる予感がありました。・・・「町に入れば入るほど地域の店になってしまうけれど、中心から離れた山の中や沿岸部にいくと広域圏が生まれる」
・お客さまは、どんなに不便な場所でも、必ずお見えになる。不便だからこそ、その価値が高まることもある。石見銀山に店を置くことが、ブランディングになると考えたのです。
・ビジネスで考案されたものは真似されたり、飽きられたりするけれど、歴史や文化などの時間をかけて生み出されるものは普遍的です。石見銀山は近代化にのり遅れ、町並みは経済発展に取り残された町だからこそ、宝がたくさん残っている。単に商品を売るだけでなく、この町の歴史や文化も売っていこう。
土地に対する愛着をはっきりと言葉にしたことで、私たちのものづくりは、いっそう町と深く関わることになっていきました。
・「逆行小船」・・・大きな船で大河を目指すのではなく、小さな船で清流をさかのぼることは、危険を伴うかもしれないけれど、その先には清々しさや美しさのある世界がある
第2章 町づくりは町の仲間と一緒に
・自治体の補助金に頼りすぎると、お金をかけすぎたり、逆に自力でできなくなったりします。自分たちのできる範囲で、何かできることを見つけてコツコツやっていくことが、地域で何かしたいと思ったときに大切なポイントになる
・出発点は、いつも誰かの「こんなことがしたい」という夢。一人の夢をみんなが応援することで、一人一人が輝き、そして町が光る。町ありきではなく、個人ありきであることが、町づくりの本来の姿ではないでしょうか。
・確かに地方は、いろいろな役をみんなでまかなわないと回らないから、一人の人のいろいろな側面を見ることができますよね。(登美)・・・それだけ出番がある。(阿部氏)
・持続可能な地域をつくるのではなくて、地域をよくする活動を持続可能にすること(阿部氏)
・いちばんの足元は自分自身。自分の中の可能性に目覚めて、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか、そういうことを一人一人深めていけば、地域の想像力につながる
第3章 経済49%、文化51%
・非効率なことは経済性に劣るように見えますが、経済性を優先させるあまり、文化的な魅力や地域独特の個性をなくし、魅力をなくしてその結果、経済性も失いかねません。
・経済性と非効率、そのさじかげんが難しいところですが、私たちのものさしは「経済49%、文化51%」というバランスを持つということです。経済より文化が勝る1%の差は理念。高い志があれば、経済が文化を壊すことはない。私たちの会社が片田舎で残ってこられたのは、この文化優先の理念を守ってきたからです。
・私たちが群言堂を立ち上げたときに決めたことは「都会のメーカーと同じ土俵に上がらない」ということです。そこに上がってしまったら、私たちはいとも簡単に負けてしまう存在。ですから自分たちの土俵をつくることを第一に考えました。
⇒ 新たに「小さな市場」をつくる(『売上最小化、利益最大化の法則』)
・「復古創新」・・・過去から本質を理解して、未来のあるべき姿に向かって想像していく行動や考え方
・私たちの考える「美」は、受け継いだ歴史に手を入れることで生まれる美しさや、足元の宝を暮らしに取り入れた美しさなど、この大森町の町並みと暮らしの中に息づいているものです。
第5章 世界遺産登録で観光のあり方を考える
・私は、もともと世界遺産自体を否定したわけではありません。ただ世界遺産に登録されたらもうかる、人がたくさん来て町が潤う、そういった経済一辺倒の行政の姿勢には異議を唱えました。
・住民の間で意見がわかれたときは「町の未来」という目標を掲げると答えが一つになることがあります。
・世界遺産登録直後に起きた大きな3つの問題
①町の魅力が見えなくなってしまった
・訪れる人の多くは「世界遺産」=銀山にひかれてやってくる → 町の魅力は二の次
②町のキャパシティー
・人口400人の町に1日1万人を超える人が押し寄せた
・お客さまに十分なおもてなしができず、住民、観光客、両者にとって地獄を見る結果となった
③経済的なピークをつくってしまった
・世界遺産登録から3か月は人が押し寄せて町にお金を落としていった
・3か月を過ぎると徐々に訪れる人は減っていった
・地方の経済は、ゆっくり成長していくことが住民にとっても商売人にとってもいい
・ピークをつくることは、その黄金成長率を焦がしてしまう。
・私たちが目指すものは「生活観光」です。生活観光とは、訪れた人が私たちの暮らしを見たり、ここで出会う人と交流したりする新しい観光スタイルです。
・私たちは世界遺産登録後に、町に訪れる人の数が、町の器以上になってはいけないということをいやというほど思い知らされました。年間通して、標準的にお客さまに来ていただくしくみをつくる、これが生活観光のポイントです。
第6章 若者が大森町に移住する理由
・東京の広告会社で働いていた社員が、大森町にきてから「東京では働くために暮らしていたけれど、ここでは暮らすために働く」という名言を残しています。
・小さいコミュニティだから変えやすいと思ったけれど、そうじゃなかった。小さいコミュニティだからこそ、その中で折り合いをつけて、ネゴシエーションしていくことが重要なんですね。・・・そもそも自由な仲よし組でやろうとするから難しいわけで、最初は自分が主体的に動く。自分が何か行動を始めて、少し成功したら、だんだんそこに人が集まる