オンラインによる「坂戸ワールドカフェ」に参加しました
比企起業大学の仲間からのお誘いで、4月25日(日)に開催された「坂戸ワールドカフェ」@Zoomに参加しました。
その日は家族で横瀬町に出かけており、なぜか坂戸市在住なのに横瀬町からオンラインで参加するという不思議な構図でした笑
これもオンラインだからこそできる参加方法ですね。
本当にありがたいです!
ちなみに横瀬町では、役場の隣にある「エリア898」を使わせていただきました。
ありがとうございました!
(オープンで―は無料なのも非常にありがたいです)
坂戸市の未来について考える
今回のワールドカフェは、「第6次総合振興計画に続く次期総合振興計画策定のため」ということで、要は第7次総合振興計画策定のために開催されたものでした。
総合振興計画とは、10年間で実現に取り組むまちの将来像と、そのための基本構想、基本方針を定めるもので、一般的には「市の最上位計画」と表現されることが多い計画です。
つまりは「10年後の坂戸市の未来を考える」ことがテーマです。
おそらくそれ以外にも市民懇談会的なものとか、まちづくり会議とか、パブリックコメントだとかいろんな行政的なプロセスを経て策定していくのでしょう。
このあたりの手続きには、在職中は、「計画策定のためにわざわざ開く会議なんて意味があるのか」と懐疑的でした。
そもそも日頃から意見交換の場を設けていれば、わざわざ策定の準備のために意見交換をしなくても地域の課題や地域住民の意向を把握できているはずだからです。
行政的には恒常的な場ではなく、「わざわざ計画策定の名目できちんと住民の意見を聞いている」という体裁が必要なのでしょう。
まあそれはそれとして、なんとなく便利だから住んだ坂戸市で、私がどんな関わり方をしたいのか、坂戸市がどんなまちを目指しているのかを考えるいい機会になりました。
(私のほかにももちろん参加された方はいましたが、ここでは私がどんなことを考えたのかを備忘録的にメモすることとします。)
Q 坂戸市に愛着はあるか。その理由は?
最初に与えられたお題は「坂戸市に愛着はあるか。その理由は?」というものでした。
難しい質問です。
あるともいえるし、ないともいえる。
他の方の回答を聞いて、「あ、私もそうだ」と思ったのは、少なくとも「住んでいるまちなので、愛着を持ちたいと思っている」ということでした。
坂戸市は、車で1時間移動すればいろんなところにアクセスできる非常に交通の便が良いまちだと思っています。
本屋もあるし、スーパーもあるし、学校も多いので生活するには不便しません。
少し市外に出れば山もあるし、川もあるし、ときがわ町もあります笑
でも反面、「愛着がある」と断言できる要素があるかというと、残念ながら「ない」が答えです。
でもでも家族で5年以上住んできて、自宅もあってそこで生活しているし、少なからず人とのつながりもあるという意味では、どうでもいいまちではありません。
だからこそ、「住んでいるまちが良いまちになればいい」という意味で、愛着を持ちたいと思っているというのが答えです。
だからコミュニティスペースの仲間と子どもの学びの場をつくるプロジェクトを仕掛けたり、筑波大学附属坂戸高校とのコラボもやりたいと思っているのだと思います。
一緒のグループになった方で、「愛着は具体的な人とのつながりから生まれる」と発言された方がいました。
私もまったくそのとおりだと思います。
私が研究している関係人口の議論に近いです。
地域の人と関わり、地域で具体的な役目を果たすことで貢献感が生まれ、自己肯定感が高まり、その結果として地域への肯定感=愛着が生まれるのではないかと考えています。
Q 他のまちにはない「坂戸らしさ」はあるか?
次のお題は、「他のまちにはない『坂戸らしさ』はあるか?」というもの。
うーん。
正直、私は「らしさ」という言葉があまり好きではありません。
意味するところが非常に曖昧すぎます。
これに対する私の答えは、「らしさがあるかどうかは分からないけど、必要ではないと思う」でした。
私が思ったのは、「坂戸らしさ」ではなく、「坂戸ならでは」「坂戸だからこそ」の方が重要ではないかということでした。
私は地域での教育に関心がありますので、その方面でいうと
・坂戸市には小中学校のほか、高校4校、特別支援学校、大学3校があるので、地域での人材育成を考えると循環をつくるのに有利(実際にできているかは別として)
※ときがわ町は中学校までしかなく、高校に進学しようとすると町外に通わなくては
ならない。町外に移転する家庭もある
・国立大学の附属、かつ国際バカロレア認定、スーパーグローバルハイスクール指定の高校がある(筑波大学附属坂戸高校)
・食の分野で著名な女子栄養大学がある
このあたりは非常に大きな坂戸市の資源なのではないかと考えています。
ただ、それを活かしきれているかというと、残念ながら現状は否でしょう。
でも、だからこそ私はそこに自分が関わる余地があるのではないかとも思います。
既に満たされた状態であれば楽で不満はないかもしれませんが、反面、自分で何かやろうとしたり、そこに楽しさやおもしろみを持つことはないでしょうから。
これは関係人口の議論でいえば、私にとっての「関わりしろ」ということになるでしょう。
Q3 坂戸市の理想の未来像、10年後の坂戸市はどんなまちになっていてほしいか?(●●なまち)
最後の問いは、「坂戸市の理想の未来像、10年後の坂戸市はどんなまちになっていてほしいか?」を「●●なまち」と表現しようというものでした。
この問いに対して、私は最初「子どもが夢を見られる、叶えられるまち」と答えようと思いました。
でも、途中で「何か違うな」と思いました。
子どもが夢を見られるようにするには、まず周りにいる大人が夢を見られる大人である必要があるのではないか。
子どもはその大人を見て成長するからです。
また子どもの夢が叶うには、それを応援してくれる他者の存在が必要です。
そのため私は次のように答えることにしました。
「子どもも大人も夢を見られる、叶えられるまち」
これはつまり
・チャレンジできる =失敗に寛容である
・他の人が応援してくれる =つぶされない
・他の人を応援する人が育つ
・子どもが夢を持つためには、まず大人がそうでないといけない
・成功体験が貢献となり、自己肯定感が上がる
・結果として地域に対する肯定感も上がる
という想いを含んでいます。
と、ここでまた考えました。
果たして私は、子どもも大人も夢を見られる、叶えられるまちに「なってほしい」と期待しているのかということです。
誰かに、たとえば行政にそういうまちにしてくださいと期待するのかというと、それは違うなと思いました。
この未来のまちの姿は、「なってほしい」というより、自分が「こういうまちにしていきたい」といういわばビジョンです。
誰かにやってもらいたいということではなかったのです。
なので結論としては、「私はこういうまちを(坂戸に限らず)つくっていきたいんだ」と確認できたのでした。
願わくは、行政もイチプレーヤーとして、「一緒にやろう!」といえる関係でありたいと思います。
それがときがわ町で設立した「一般社団法人ときがわ社中」が目指すところですし、そのスタンスは坂戸でも変わらないだろうなと。
これに関しては先日した以下のツイートの通りです。
坂戸市の未来について考えるはずが、まわりまわって私のまちとの関わり方の未来を考えることになってしまうという不思議な現象でした。
ときがわ町は私にとって大切なまちであることは確かです。
でも一方で家族とともに住んでいる坂戸市も良くなるにこしたことはありません。
そこに関しては、今後も自分の中で地域との関わり方を考えていきたいと思います。
坂戸市ではパブコメ実施中
余談ですが、坂戸市では5月17日(月)まで「未来の坂戸市」についての意見を募集中とのことです。
ご興味ある方はこちらからどうぞ。