「公務員あるある」な日本の構造的問題を見た
仲間とともに、ときがわ町の木材活用を進めていくうえで、最近は林業問題について学んでいます。
【これまでにブログで取り上げた林業関係本】
・『地域林業のすすめ』
・『日本林業はよみがえる』
今回読んだのは、『森林で日本は蘇る 林業の瓦解を食い止めよ』です。
この本を読んだ率直な印象として、いろんな制度やルールなどに関する日本の構造的な問題を垣間見た気がしました。
日本の制度には、既存の制度に上書きを重ねて、ものすごく難解なルールになってしまっているものが多く見られます。
税金とか年金とか医療報酬とか。
場当たり的というか、その場しのぎでは?と感じるものもあったりします。
悲しいことに、割と公務員の世界だと「あるある」な状況だと思います。
本書で指摘されているのは建築基準法です。
効率的な工法や最低限の基準の遵守が優先されるあまり、逆に日本の伝統的な木造建築が建てられないという状況に陥っているといいます。
一番の問題点は、理念とか大本の目的よりも、ルールを守ることが優先される傾向があるということです。
本来なら、理念や目的を達成するための手段であるルールは、時代や社会の変化によって変えられていくべきものです。
でも、いつの間にかルールを守ることが優先されているような制度はすごく多いのではないかと思います。
たとえば私が関わっていた都市計画法について言えば、本来は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図る」、つまり都市計画を計画的に実行することが目的です。
そのために市街化調整区域に位置付けられた場所では、「当面の間」開発が抑制されることになっているのですが、それがいつの間にか「市街化調整区域=開発してはいけない区域」として扱われてしまっています。
法の趣旨に照らせば、「都市の健全な発展と秩序ある整備が図られる」ことが担保されるのであれば、開発は認めてもいいことになります。
何事もそうですが、「何のために」が一番先に来るべきで、手段が目的化するのはあまりいい状況をもたらさないと考えています。
とはいえ、制度自体を変えるとなると問題が大きすぎて、なかなか個人レベルのチームでは手が付けられませんし、できるとしても莫大な労力と時間がかかるので、あまり現実的ではありません。
そのような中で、ときがわ町の木材活用を進めるにはどのような方策があるのかを考えてみました。
ときがわ町の木材活用を進めるには
その際、私が重視するポイントは以下の5点です。
- 木材を活用することによる相応の利益が得られること
- その利益が山に循環可能なものであること
- 理念は大事だが、その中にも「楽しい」「ワクワク」する要素が含まれること
- 多様なプレーヤーが関わるものであること
- 地域ならではの要素が含まれること
木材を活用する場面として、一番量を多く消費するのはなんといっても建築と燃料です。
このうち燃料としての活用は、小規模だとなかなか採算がとりにくいですし、良質な木まで燃料用に回されている本末転倒な問題も出てきていることが本書でも指摘されています。
このため、燃料は第一選択肢からは除いて考えたいところです。
(ただし、副産物的な利用としては、「楽しい」「ワクワク」という視点で見ると、いろんな価値をつけることはできる可能性は大きいと考えています。)
ということで、建築というテーマで2パターンの木の活用方策を考えてみました。
(もっとも私は建築の専門家でも何でもないので、これを「建築」といっていいかはわかりません・・・。
あと関係法令の有無に関しても調べたわけではないので、あくまで素人の勝手な意見です。)
パターン① 「人間以外」が用いる建築
建築基準法は人間が住んだり、活動したりする場所としての建築物について規制している。
ならば「人間以外」の動物が使う場所に木を使うのはどうでしょう。
具体的にいえば、動物園や牧場などの小屋や柵などです。
ある牧場関係者に聞いたところでは、動物のケガ防止ということを考えると、動物が暮らす場所にある壁や柵などには木がいいそうです。
また、家の中に気が使われていると、人間にとってはケガ防止だけでなく、リラックス効果や安眠効果などが得られることがわかっているので、動物にとっても同じような好影響があるのではないかという推測もできます。
ときがわ町では養老牧場であるときがわホースケアガーデンやヤギを飼っている方もいますので、こんな木の使い方が広まってもおもしろいのではないかと考えています。
パターン② 山自体を使う
ときがわ町の木材活用の課題として、木を伐る人と木を運ぶ人が少ないということが挙げられます。
いくら需要が高まっても、それに合わせて急に人材が増えるかというと難しいといわざるを得ないでしょう。
また、伐採や運搬作業には大型機械や車両も必要になり、多大なコストが必要になります。
でも山や森林の維持のためには、何らかの方法による「人の管理」が必要です。
ならばどうするか。
発想の転換で、山から運び出してくる木の量はそれほど多くなくても、山に人が入れるようにするというのはどうでしょう。
たとえばマウンテンバイクやバギーのコースをつくるというような具合です。
人が入れる状況をつくれれば、必然的に入るために最低限のケアが行なわれるというわけです。
少人数、低コストで森林を維持しつつ、経済的な循環をつくりだすには有効ではないかと考えます。
そうした小さな利益を元手にして、少しずつ山にかけられるお金を増やすことから始める。
それが私たち個人のプレーヤーにできることではないかと思います。
また、それにいろんな方にご協力いただくことで、「私の森」から「私たちの森」にしていくこともできるかと思います。
その他
「建築」ではありませんが、木の活用を広く考えたとき、大きな可能性を感じて取り組んでいるのが「木のお酒」プロジェクトです。
(木のお酒プロジェクトについてはこちらをご参照ください)
このプロジェクトは、ときがわ町出身のバーテンダーである鹿山博康さんが旗振り役となって、蒸留ベンチャーのエシカル・スピリッツ株式会社と連携して取り組んでいるものです。
木から蒸留酒をつくるという世界初の取り組みが、ときがわ町の木を使った行われるということで非常にワクワクしています。
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以上、大きな国や行政のルールに縛られずに、自分たちにできることからという発想で考えてみました。
私は別に山持ちでも何でもなく外野からの視点になりますが、ときがわ町がよくなっていくためにということを考えると、やはり山や森林の問題は避けて通れないものと思います。
林業専門家でもないため、問題の大きさに振り回されないようにしつつ、自分にできることをしっかり意識しながら取り組みたいと思っています。
小さなことからでも、次に続く、次世代にまで続くような息の長い取り組みになっていくことが理想です。
そのための最初のきっかけとして、小さなトライを仲間と生み出していけるといいなと思います。
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以下、本書から気になるところを抜粋してまとメモしています。
まとメモ
第1章 日本の建築基準法には自国の伝統木造は存在しない
・現在、日本dえ「一般的となった木造」とは「在来木造(在来工法)」と呼ばれるものである。木造の大多数を占めるようになった「在来木造」と「一昔前の木造」とはまるで異なる、別物である。
→ 伝統木造(その構法を伝統構法)
・2020年に日本で新しく建てられた住宅のうち57.6%は木造で、一戸建てに限定すると、90.6%
→ 現在の法制度下では「伝統(的)構法」で木造は建築しづらく、「伝統木造」をほとんど建てられなくなっている。
→ 「伝統木造」を建築しようとすると、建築基準法が定める「仕様規定」というルールを随所で破ることになる
→ 住宅レベルの小さな建築では、構造計算はしなくても良いが、まっとうに「伝統木造」を建てようとすると、マンションレベルに要求される構造計算が求められ、時間と費用がかかりすぎる
・もともと建築基準法は、バラックを規制するために作られたと聞く。現在の法は、あるべき姿を説いたというより、むしろ誰が設計しても、誰が建てても壊れないようにという発想のもとに作られ、何か災害が起こる度に、ルールが追加されていった結果の産物とも言える。
・「在来工法」とは、文明開化で導入された洋風木造を土台に、「お上」の権威のもとに体系化された「官」の技術である。「伝統木造」は、昔からの経験や技術の蓄積をもとに大工棟梁が培い逐次新しい様式や技術を旺盛に取り入れながら徐々に発展を遂げたいわば「民」の技術である。「在来工法」は、「伝統木造」とは似て非なるものである。(『耐震木造技術の近現代史』)
・伝統構法が制度的に優遇されることはなく、官が積極的に推し進めることもない。・・・安全な木造に住める可能性を、国民の選択肢から結果的に遠ざけてしまっていていいのだろうか。本来ならば、大手を振って建てられるようにすべきであろう。
・そもそも戦後に大量に植林した杉、檜は、建築に使うためだった。現代においても「伝統木造」に限っては、日本の製材業や林業の振興と、その先にある山村や山林の発展に直結している。日本の山林、林業や製材業、そして地域社会と深く結びついているのだ。
・「伝統木造」は、構造から化粧まで、ありとあらゆるところに木材、それも白木を使い、空間を創り上げることに長けている。材料である木材の耐久性、そのありのままの美しさは重要である。このため同じ気候風土で育った日本の木が良く、それも一番質の良い材、つまり高い材を求める。「伝統木造」は、日本の木の性質を最も生かす建築であり、とても多くの気を使う。真っ当なお金が山林や山村に還り、山を守り、木を仕立てる技能の発展、その地域の産業や文化の継承に繋がる。
・代々続く林業家で、丸太を砕いて、粉々にするために、木を植えて育てて来た人がいるだろうか。…伐り倒した後も、何十年、何百年と使われる建築物に、自分の山林の木材を届けたい。そこに地域の林業が発達し、稟申資源を持続的に回す仕組みも発展する。
・これは国内資源を建築で消費してもらいたいという「量」の問題ではない。むしろ資源と産業、文化、そして技能の「質」の問題である。林業でも製材業でも建築業でも、もっとも良い材が、そして、そのトップクラスの技能を持つ人々が、結果的に不利に立たされている。
・現在の建築基準法には、いまだに伝統構法や大工棟梁は、存在しないも同然である。かたや外国から来た「ツーバイフォー」や戦後できた資格、一級建築士などの「建築士」の立場は明記されている。
・技能を持つ建築大工技能士が、さらに努力して腕を磨いても、現在の法制度においては、ほとんど何のメリットもない。・・・同様に伝統構法も、現象の制度の中では、「その他扱い」になっている。国内外の観光客が、こぞって訪れる、全国各地の歴史的町並みは伝統木造、伝統構法で作られている。その多くは、現行法には沿わない「既存不適格建築物」となる。
・木の持つ性質をできるだけ生かす使い方を考え、増やすことで、木の価値が正当に評価され、山林にもお金が還っていく。木である必然性がない使い方では、木それ自体の取引価格は上がらないうえ、別のコスト等が回り回って発生する。
・大工棟梁は「いかに手間をかけるか」、材木商は「いかに良い在庫を持つか」が彼らにとって、いい仕事の基準である。彼らは社会に逆行しているのではない。自分の仕事が、社会から求められ、社会で果たすべき役割を大事にしている人達である。
第2章 自国の伝統文化は国益に直結する
・フランスの「建築に関する法律」は、「建築は文化の表現である」と始まり、「建築の創造、環境との調査、景観、そして建築遺産の尊重は公益である」と続く。
・フランスの景観は「建築に関する法律」が示す、根本的な「考え」によって、「形」を現わしている。フランスやドイツの歴史的な町並みは、気がついたら残っていたのではない。そこには明確な国家の意志と国民の思いがあり、その意図が都市計画制度に作り込まれているからである。
・現代でもフランスでは家一軒建てるにも、地域の歴史的景観への影響が熟考される、そういう法制度が作られている。これに比べ、日本は逆で、自国が誇るべきはずの「伝統木造」を建てようとすると、法制度が建築のハードルを高くする。
・彼らは地域による差異、特徴を見出し、それを景観形成における源泉、資源と考えている。・・・彼らは現世で建築を創り、歴史的建造物を保護し、景観の誘導と保全を行うことは、公共、半公共による経営、事業の一部であり、その目的は地域の利益、総じて国益で、将来の財産を形成していくことだと捉えている。
・長い歴史と文化を持つ先進国の中でも、現代日本ほど、大工を始めとする職人を社会の表舞台から裏へ追いやった国もない。職人の技能だけではない。近代科学や市場経済の理屈だけでは、うまく説明できない価値を、結果的に、これだけ壊してしまった先進国も他に見ない。その結果、我々自身も数値や金銭で評価され、苦い思いをしているのではなかろうか。
第3章 山麓の小さな製材所が持つ大きな可能性
・製材業に限らず、大規模集約化は、山村の生業には馴染みにくい。むやみに大規模集約化を推し進めれば、製材という仕事も山村を出て行く。・・・木材資源は国内に、そして人の住む山村の近くにある。日本の資源としては珍しい存在だ。山林は過疎に悩む地域に寄り添う資源なのである。山村は資源も産業も、そして生活も身近で、互いに関係が近い。この条件を活かさない手はない。
・過疎とされる地域は、人口密度が低いだけではなく、何につけても分母が小さい。このため分子に「大きさ」を求めなくて良いだろう。つまりスケールメリットがものを言う大きな産業は必ずしも必要ではないのだ。何事も大きくなくても、元気になれる。
・そもそも都市の価値観と競合させようとするから「過疎」であって、農山村からみれば、都市部は「過密」なだけである。
・中小の製材所は、日本林業が誇る木を材に仕上げる所である。林業の活性化に繋がる。山村の仕事が活気を帯び、経済が潤うことに繋がっていく。
・必要なのは「予算獲得」ではない。・・・林業は自立した「産業」であるべきだ。・・・産業として自立させ、成長を目指すなら、予算獲得ではなく、現場が困っている問題を解決するため、交渉や調整をしたり、規制や制度を変えていったりすることであろう。
・林業の補助金は往々にして「人に何かをさせる」ためのもの、または「させられている方は、言われたことをやっているだけ」という状態に陥る。これでは失敗しても他人事として片づけられ、失敗した経験さえも生きてこない。
第4章 誰のためのバイオマス発電か
・バイオマスに使う木は粉々にするのだから、質は問わず、取引価格は安い。バイオマス利用だけでは、再造林などあり得ない。・・・このような価格帯の低い木ばかりの流通量が増えれば、木材価格全体が下がり始める。さらに立木を植えて育てて収穫する技能まで損なわれ、国土保全も覚束なくなる。
・無理な木の使い方は、FITの期間内に限り、お金になるという以外に、本質的な意味を見いだすことが難しくなっていく。外材を買っても、国産材を買っても、地球環境や地域社会に対して問題を起こす可能性がある。我々から徴収されている再エネ賦課金は何を意味しているのだろうか。このお金をもとに、バイオマスで発電した電力が買われ、その先で国内外の資源が買われている。
第5章 美しい山林から貴重な銘木が採れる列島なのに・・・
・作業を請け負った事業者は、誰がいくらで買おうと、補助金をもらって、伐りさえすればお金になる。この木を植えて育てた原価はいくらか、などと考える必要はない。木を売って得たお金で植林して次に繋げる、つまり次世代への投資といった生産のサイクルまで考えることは稀である。こうして現場は、補助金を中心に回ることとなる。
第6章 森林資源の豊かさと多様性を生かせない政策
・日本は森林面積2500万haのうち、天然林が1300万haと50%以上を占め、人工林1000万haよりも多い。・・・天然林はもちろん、人工林も手入れすれば、多くの樹種に恵まれる。・・・日本列島は、森林資源の豊かさと多様性では、潜在的にたいへん恵まれている。
・日本の木材消費量は・・・7000~8000万㎥で推移している。・・・日本で森林資源が自然に1年で増える量、つまり成長量は大体7000万㎥である。・・・つまり量だけ見れば、自給率100%も夢でない。
・林業では、明日売れるものを今日作ることはできない。売れるか、売れないかわからない状態で、生産に入る。・・・できるだけ、この不安とリスクを最小限にしたい。それには、一斉に共倒れしないためにも、各地で同じような産物を、同じように生産するのは、避けたいというのが普通の戦略だろう。しかし、中央から降ってくる補助金をもらい、その「取扱説明書」に従うと、結果的に好ましくない状況が発生する。地域性を無視した全国一律の「取扱説明書」だからである。そして山林のことは、そこにいる人以上に分かる人はいない。彼らの積極的な意志と創意工夫を摘んでしまうのは、本質的な林業振興を妨げる。
・ヨーロッパ先進国で林業が盛んなのは、林業で儲かり、生活できるからである。木を植えて、育て、伐って、また植えれば、生活できる、そして山にもお金が還り、資源が再生する。これが実現する環境さえ整えばいい。
第7章 山中で価値ある木々が出番を待っている
・木も材もないわけではない。建築用の無垢材を製材加工する者が減り、流通も細り、誰が持っているのか、誰に聞けばいいのか、分かりにくくなっているのである。
・木はあまねく使うことが大事で、良材ばかりが採れるわけではなく、安い丸太の売り先も大事である。
・木は、なるべく価値ある使途の割合を高めるのが理想である。木材は、同じ追うなものを早く、安く、大量に生産しようとすると、かえって全体の価値を高められない。
・本当の林業とは、今、儲けようとすると、儲からない。・・・林業では、人の成したことに対して、自然から率直に評価が還ってくる。
第8章 林業機械から分かること
・日本と欧米の林業の機械化で何が違うのだろうか。決定的なのは、非常に条件の良い土地を除き、日本の山林では、大型機械は人が作った道の上しか走れないことだ。
・日本林業では、いつでも、どこでも、同じようなことが繰り返される。ある事業体が機械を買うか、買わないか、といったディテールまで、行政が補助金で意思決定してしまう。これでは現場が本質的なことを考える意志も気力も失ってしまう。たとえ時間がかかっても、現場の発意で動き出す「産業」に戻すことが大事であろう。
・日本では仮に伐倒作業で生産性を上げることができても、次の運搬で行き詰る。林業の生産性は機械単独の性能だけでは決まらない。山から里まで、滞ることのない作業全体の流れが林業の生産性を左右する。
・日本が輸入している木材の内訳は、2019年現在、丸太が8%、製品が85%である。大半は原料ではなく、海外で製材加工された製品だ。つまり海外の子湯と経済に貢献してから、日本に上陸している。
第9章 いつの間にか国民から徴収される新税
・補助金制度を抜きにして、日本の林業を語ることはできない。何をするにも補助金が用意されている。・・・現場では、補助金をもらうための作業に、本業とは別の要員を必要とする。・・・林業をするために補助金をもらっているのか、補助金をもらうために林業をしているのか、分からなくなる。
・補助金を一切もらわずに自立している民間企業の3つの共通点
①山側の供給と、町側の需要の両方を見ることができ、さらに、そのバランスを取ることができる
→ 山の木の価値を、誰にどう売ると最大限に生かせるかを知り、生産している
②「信念」というべき考えがある
③山林と裾野に広がる地域社会を守っている