晴耕雨読 橋本拓さん・容子さん(ときがわ町)を取材しました
2021年1月8日(金)に『埼玉トカイナカ』の取材のため訪れた「晴耕雨読」の橋本さん一家へのインタビューの第2回です。
第1回はこちら。
橋本拓さん・容子さんへのインタビュー②
(前回からの続き)
「自分がやりがいが持てる仕事がしたい」(容子さん)
――― 移住先探しは拓さんが主導したということでしたが、容子さんはそれに対してどのような想いでいたんでしょう? お仕事もされていたとうかがいましたが。
(拓)はい。妻はもともと公務員として働いていました。でも移住には賛成してくれて。妻も仕事上でいろいろ悩んでいたんです。そのことについては妻から直接聞いた方がいいですね。
(ここで容子さん登場)
――― 容子さんの仕事上の悩みというのはどういうものだったのでしょう?
(容)もともと自分で収入を得られるようにと公務員になったんです。
でも、あるプロジェクトで、やりがいをもってイキイキ働く先輩たちと出会って、「同じ時間、同じ仕事をしていても時間の質が違う」ことに大きなショックを受けました。
そんなとき妊娠して休みに入ることになり、自分を振り返る時間ができました。その間にキャリアカウンセリングも受けてみたところ、「人と話す仕事がしたい」という気持ちに気づくことができました。
ただ、公務員を辞めるというのはなかなか口に出しづらい環境です。しばらく言えないままでした。でも育休明けで職場復帰すると、ワンオペ状態で家事・育児・仕事に追われてまったく余裕のない生活になってしまって・・・。
「もうムリだ」と思い公務員を辞めて、「やりがい」と「子育ての状況に合わせて仕事量を調節できる」職にシフトしようと決意しました。そして、いろいろな職を考える中で、カウンセラーという仕事に出会い、NLPやインナーチャイルド、親業などの講座を受講して、カウンセラーとしてのスタートを切りました。
それがだいたい移住前の動きですね。
――― 新しい仕事をスタートする上で、ときがわ町に移住することについては不安などはありませんでしたか?
(容)実をいうと、カウンセラーの仕事だけを考えれば、知り合いの多い神奈川県の方が有利ではないかと思いました。
でも、生活のことを考えると、やはり静かなときがわ町の魅力の方が勝ると感じました。それで移住には賛成しました。
(拓)そのへんの感覚は共通していたので、移住先選びはすごくやりやすかったですね。
そしてときがわ町での生活が始まった
――― 実際にときがわ町での生活をスタートしてみて、どうでしたか? イメージと違うところなどはありませんでしたか?
(容)「意外に東京に行ける!」というのが率直なところです。神奈川県から移ってくるときには「東京バイバイ」くらいの気持ちでいたんですが(笑)。実際は神奈川県に住んでいたころと負担感はそう変わらないです。むしろ駅まで車で行けるぶん、今の方が楽かもしれません。以前は駅から遠いところに住んでいて大変だったので。
いい意味でのギャップがありましたね。
静かなところは好きなのですが、東京に行くのも好きなんです(笑)。今はコロナでなかなかいけませんが、コロナになる前は月1回くらいのペースで東京に行っていました。
(拓)プライベートにずかずか踏み込まれることもないですね。実はそのあたりは心配というか覚悟してきたんですが、適度な距離感があって暮らしやすいです。それに、何かのときには親身になって相談に乗ってくれたり、応援したりしてくれる人が多いです。
ただ、暮らしてみて大変だったということでいうと、草刈りは予想以上に大変でした。
――― 草刈りというと敷地が広かったり、畑があったりするからですか?
(拓)それは農業をやる以上は宿命なのですが、そうではなくて地区の草刈りです。
このあたりでは年に2回、地区の人たちで一斉に草刈りをするんですが、その日だけ作業するわけではないんです。
――― というと?
(拓)草刈りの日に終わるように、前もって周辺の草刈りをはじめるんです。
――― えー!?
(拓)たぶん一週間くらいかかっているかと思います。みんながみんな一生懸命やってきれいにするものだから、私たちも気が抜けません。
――― それはプレッシャーですね。
(拓)でもそういった地区の人たちの活動があるから、景観が美しく保たれているんだと思います。
――― すばらしいですね!
(拓)本当に。
(次回に続く)
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自分たちの理想の暮らしを実現するためにときがわ町での生活をスタートさせて橋本さんご家族。
ときがわ町の暮らしには非常に満足している様子がうかがえます。
お二人はときがわ町のどのようなところが気に入っているのでしょうか?
次回は、お二人が感じるときがわ町の魅力に迫っていきます。